2009年10月
国境の町へ行く
10月17日から始まった秋休みを利用して、近辺の町を方々廻る予定であったが、休みは雨天で始まった。
日曜日に小降りになり、思いきって遠出をすることにした。
当地Gyorから更に西に電車で1時間程走ったところにある、オーストリアとの国境の町Sopronショープロンに出かけた。
空がどんよりしているということもあり、街はなんだか寂しそうな感じである。
Sopronと言う場所は、1989年8月に起きた"汎ヨーロッパピクニック計画"の場所として東側の人たちの記憶に刻みつけられた場所である。ここに集まっていた東ドイツの人々が西側への亡命をした場所。そして、東西ドイツの壁の崩壊へと動いて行ったそうだ。
その後の、この街の記念行事については、日本の民間人たちが多くかかわっているようだ。
そこからバスで20分程走ったところにある、さらに国境の町、いや村と言った方がよさそうだ、フェルトーラコシュという所まで足を伸ばした。
そこには、ローマ時代から1948年まで使われていたという採石場跡があり、世界遺産指定されている地域である。
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Sopronで一泊、翌朝の電車で国境にそって更に西側の町Szombathelyソンバトヘイへ向かった。ガイドブックによると、Szombathelyはローマ皇帝によって築かれた町、そしてオスマントルコの襲来から逃れたために、ローマ時代の遺跡が残っているというところであるが、訪問したのが月曜日、すべて博物館などは休館。
街をのんびり歩き、雰囲気を味わって帰ってきた。
日本語授業
日本語の授業は9月29日から開始、とは言っても初日は受講者の名前の確認から入る。そして、翌日に大学の事務方に受講者リストを提出。
大変なのは、まだハンガリー語(マジャール語)のスペルに精通していないので、読み方の確認に時間がとられる。
学生グループは30名近くが登録。
大学が一般市民を対象に開く「市民講座」の初日には50人ほどの社会人、他校の学生が押し寄せた。とは言え、大学側も私も、二回目から出席者が減ることを想定、そして"期待"していた。 初日の、日本語に関する説明で:日本語の文字は、ひらがな、カタカナ、そして漢字の三種類から成ることを説明。普通はこれで、出鼻をくじかれる人たちが多い筈なのだ。
ところが、二回目も欠席もいたが、さらに新たな人たちが登録した。
結局、クラスを二つに分けることで決着。
漢字使用国ではないので、日本語と言っても、"文字"はこの国の人たちにとっては可なり高いバリヤーということになる。
それでも、日本語を学習しようと夕方の時間に大学にやってくる人たちには、なんとかして"楽しく"日本語を覚えてほしいと願っている。
今は、インターネットを通じて"日本語の文字"の勉強もできるので、実際の教室活動と併せて、日本語に引きつけるように工夫をしようと考えている。
当地の大学は、市内に建物が幾つかに分かれている。 はっきりとしたキャンパスというものが無いので、全体を写真でお見せできないのが残念。
今週は、秋休みということで、大学周辺はひっそり、実は普段から閑静な感じではあるが、さらに静かな一週間。
写真は、街を囲むように流れるドナウの支流MOSONI-DUNA。

授業開始前の市内探検
9月19日にGyorに到着。
住まい周辺の散策とドナウ支流であるモショニ・ドゥナ河畔を散歩。
ある日曜日は、ハンガリー各地方の伝統料理フェアーが、河畔の広場で行われた。 どこも各食材をふんだんに使ったスープが見物。 グラーシュ(グヤーシュ)は、それだけでもメーンにすることができるほどに中身が豊富。
広場にしつらえられた舞台では、掛け合いの歌などが披露。
お野菜だけで作られたオブジェなど、見物がいっぱい。
空気の澄んだ青空の下、どこかにふわーっと飛んで行ってしまいそうな心地よさ。
ハンガリー ジュール2009 第一報
東京成田から韓国ソウル、オーストリアのウィーン経由で、9月19日漸くこちらのハンガリー Győrジェールに電車にて到着。
写真:ウイーン駅を出る前の電車
プラットホームにて、大学側担当者のお出迎えを受ける。 住まいとなるアパートまで車で送っていただく。
同時にアパートの大家さんとの対面、お部屋の仕様説明など、比較的短時間に終了。
写真:アパート
運良く、職場となる校舎までも、ショッピングセンターまでも徒歩で数分の範囲という、大変に恵まれた場所に住まいを確保してくれていたことに大、大、大感謝。
Győrジェールは、オーストリア、スロバキアの国境に近い都市で、人口は約12万人の大学都市ということになっている。
1日あれば、街のすべてのものが見られるほどに小さな街。